魂が目醒める映画『彷徨える河』
11月7日 立冬・大安・マヤ暦「香・4」
マヤ暦新年2月21日からちょうど1ツォルキン(260日)が経過しました。
「香(Caban)」が年の守護者になってからこの260日間は、ありえないほど不思議なことがたくさんシンクロしました。
ある女性は普通では起こりえないような「タイムスリップ?!」な出来事を1週間の間に2度も体験しました
彼女と私は、時空を超えて初めて「次元酔い」を体験しました!
「タイムスリップ」な話題といえばこの映画!!
『彷徨える河』
ドキュメンタリーではありませんよ♪
魂の奥深くに響く象徴的な素晴らしい作品
です💖
コロンビア史上初のアカデミー賞外国語映画賞ノミネート。アメリカ、フランスでは異例のヒットを記録。
俊英シーロ・ゲーラが描き出す、驚愕の世界観と圧倒的な映像美。
アマゾンを舞台にした、神秘的な幻覚や呪術といったマジックリアリズムに彩られた世界。
ある意味では一瞬カルチャーショックを感じるにふさわしい!
超越と恍惚へのプロセスを表現した映画だとおもいます。
原初的な世界を描いているようで、そこには自然の摂理やアニミズム的、シャーマニズム的、先住民族の知恵や美しい理(ことわり)がまっすぐ並んで描写されています。
モノクロでアマゾンのジャングルを映像化すると、ここまで神秘的かつアーキタイプが躍動し始めるのか!というほど魂が喜び、個人の精霊が動きだすのだなーとあらためて深く感動しました。
映画では、過去と現在を生きるカラマカテがパラレルワールドかタイムスリップしたかのようにして描写されています。
若き日のカラマカテはドイツ人の民俗学者テオを癒すため、幻の聖なる植物ヤクルナを求めて旅をしますが、年老いたカラマカテは今度は若き植物学者エヴァンとともに、再びヤクルナを求めてアマゾンにカヌーを漕ぎだします。
カラマカテは「夢に従うこと」を大切な教えとして一貫して伝えます。何が見えるか?世界は実に広くて巨大なのに、人間は目の前にある近くしか見ていないし、世界の声に耳も傾けない。それでは夢に従えるはずがない。先祖の歌を耳でなく心で聴きなさい。といいます。
「カラマカテ」とは現地の言葉で「試みる者」を意味しているそうです。
また映画のタイトルとなった『彷徨える河』の原題はEmbrace of the Serpent「蛇の抱擁」という意味で、このタイトルが何を示すかについて、シーロ・ゲーラ監督が「cineaste」のインタビューに答えているので一部紹介してみます。
ゲーラ:アマゾンの神話では、銀河から降りてきた地球外生命体が巨大なアナコンダに乗って地上に旅してきたとされている。彼らは海に落ちて、そこからアマゾンへとやってきた。アマゾンで暮らしていた先住民族の部族を訪れ、乗組員が後に残った。彼らは地上で如何に暮らすか、どのように植物を育て、魚を捕り、狩りをするかを部族に伝えた。その後、乗組員たちは再び結集して銀河へと戻っていった。後に残されたアナコンダは河となり、そのしわくちゃの表皮は滝となった。
彼らはまた、幾つかの贈り物を残していった。聖なる植物コカやタバコ、そしてヤヘなどだ。地上で暮らすことについて質問や疑問が生じたとき、こうした植物を使って彼らと会話することができるのだ。ヤヘを使うと、銀河から再び蛇が降りてきて、私たちを抱擁する。その抱擁によって、私たちは遠い場所へと連れて行かれるのだ。それは生命がいまだ誕生していない始原の地であり、世界を異なった方法で見ることの出来る場所である。『彷徨える河』を見る観客にとって、この映画が同じビジョンを与えるものであることを私は願っています。(大寺眞輔訳)
また、首都大学東京教授で社会学者の宮台真司先生が映画評を掲載されています。
「アマゾン先住民を描く映画『彷徨える河』は<世界>からの原的な贈与を描き出す」
鋭い審美眼で『彷徨える河』の世界観を捉え、映画の真髄を魂レベルで掴んで言語化されています。
最後に私自身の魂が感動した言葉を映画から書き写します。
「望まれた以上に与えよ。歌を伝えよ。目にしたこと、感じたことを全て伝えよ。完全なる人になりなさい。・・・これで君はコイワノ族だ」カラマカテ