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人が「死」を考えるとき

皆様こんにちは。

12月7日、今日はマヤ暦では「シカ・8」
古代マヤ暦の世界ではもっとも「神聖な日」といわれ、祖先に感謝する祝日です。
今日がマヤナーカルバースデーの方はおめでとうございますemoticon-0166-cake.gif

霊的なスピリットにあふれ、狩人のように野性的でパワフルなナーカル。
文化・教育の神の力をもって異なる価値観の仲介役をつとめてきた「マニク(シカ)」の精霊は、自然の摂理に忠実なしもべです。決して自然を裏切りません。
森の恵みに感謝して、聖なる力を世人に還元できるよう、個人で聖なるリズムを体現していくナーカルです。


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誰もが人生に一度や二度は「死」を考えるほどの挫折や試練がやってきます。
早いか遅いか、どんな試練かは人それぞれです。
他人には大したことではなくても、その人にとっては衝撃的な裏切りに感じたり、絶望や自信をなくすきっかけや、生きる気力さえなくなったりします。

そんなときは、どんなに気持ちや愛をこめて周囲の人が励ましたり慰めても、まったく本人の心には届きません。
真っ暗闇とはどんな光も言葉も届かない場所、そのような洞窟に入り込んだ心の状態だからです。
なんとかしてあげようとすればするほど、本人はやけになったり絶望が無意識に過激化して破壊につながったりしてしまいます。
逆効果かもしれません。


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私も30〜31歳のとき、そのような絶望的試練に溺れたことがあります。
その時はお先真っ暗、八方塞がりのように感じていました。
食事ができなくなり、仕事の最中だろうが電車の中であろうが突然涙が止まらなくなり、生理が止まり、眠れなくなりました。
誰かにあうことすら恐怖で、毎日が地獄みたいでした。
家族や友達が心配して声をかけに来てくれますが、余計な御世話で迷惑に感じただけでした。
一番楽な死に方は駅のホームから急行電車に飛び込むことだとわかっていました。
人は崖っぷちの極限に立つと「生きてる感覚」すら失ってしまいます。
だから死ぬことはあまり怖くないのです。
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私もすぐに立ち直れたわけではありません。

ずっと正座をしていて足が痺れて立てないのと同じように、生きるための感覚が麻痺してしまったので、社会復帰が難しかった時期が続きました。

しばらくしてある一人の女性に出会いました。
その方は企業の社長さんで、女性雇用の可能性多様性を追求しながら実践されている方でした。
仕事にはとても厳しく、徹底的な管理のもと指導をしながら、心の温かい大先輩の女性でした。

私はその会社が募集していた在宅仕事のために面接に初めて伺ったときにお会いしたのが社長さんです。
履歴書をお渡しして、面接をしていただきました。
まだ復帰できてない自分のことも正直に話しました。

その女性社長はだまって私の話を聞いていました。そしてこう言いました。

「わかりました。ではお願いすることに決定しましょう。自宅にパソコンがないようなら会社から貸し出します。必要なものは全部会社で提供します。できないことはいつでも会社に聞きにきて習ってください。あなたを全面的に応援しましょう。」

それから15年間ちかく、私はその会社から仕事をいただいて、在宅で仕事をしていました。
そこで働く女性はみな心が通じる温かい人ばかりで、私は癒されていきました。

その社長は私の心の苦しみや試練をすぐさま察知し、理解して手を差し伸べてくださいました。
いつだったか忘年会のとき、社長が私の肩を引き寄せて「大丈夫。よく頑張ったわね。きっとあなたならやり直せるわよ。大丈夫大丈夫!」そう言って涙を流してくださいました。


人が立ち直るきっかけは、近くにあるかもしれないし、そうではないまったく違うところにあるかもしれません。

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あのとき、あの社長に出会わなかったら、今の私はないかもしれません。

出会いとはそういう神秘な出来事だとおもいます。




今わたしは「古代マヤ暦」をつかって占い師という仕事をしています。
しかしその道も決して平坦ではありませんでした。
何度も転げ落ちそうになりました。


以前、占い師を本気でやめようと思ったことがあります。
自分にはもう無理だ。と。
潔く別の仕事をしようと思いました。

そのときも一人の女性の言葉に救われました。

「わかるわ。毎日人の相談にのるのも大変よね。やめるのを止めるわけじゃない。でも・・・マヤ暦を信じて弓玉先生を信じて鑑定に来てくださるお客様のことはどうするの?? 放ってやめられるの?」

私は自分の苦しいことしか考えてなかったのですね〜emoticon-0107-sweating.gif
私を信じて鑑定に来てくださる人のことを考えていなかった!

彼女の一言にハッとして我に立ち返れた。
そのことも運命だと感じています。


挫折や試練は、大津波のように自分の運命をまるごと飲み込んでしまいます。
自分が飲み込まれていることに気づかないくらい、くじらのお腹の中は死の色で真っ暗なのです。

生きているのか死んでいるのかすらわからないくらい、天変地異な出来事なわけです。


そんなとき、希望とか大丈夫とか、頑張ってとか生きていればいいことあるとか、いらない。
神様を信じて。とかいらない。
きっと来年はいいことがある。とかいらない。


「今、この瞬間」


「いまこの瞬間」


「今、この瞬間」

を生きることだけ考えればいい。
「息」だけしていればいい。
ていうか、それしかできません。汗


いつもいうことですが

マヤ暦では「今日という日を担ぐ守護神は、今日のことしか責任とらないし面倒みてくれません。明日はまったく違う神がやってきます。明日のことは明日の守護神と明日の運命が考える。聖なる次元では今日と明日の連続性はない。」
わけです。


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