2017年 02月 09日 ( 1 )

こんにちは。

今日は昔の2月らしい厳しい寒さが日本列島を覆っているようですね。
私は2月生まれなせいか、暑さは苦手で寒さは心地よく、今日あたりは頭がスッキリして気持ちいいのですが057.gif043.gif

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私が初めて「古代マヤの世界観、象徴と知識体系」に出会ってから15年ほど経ちます。
たくさんの書物を読んで学んできたし、奥義に触れ体感し、深く探究してはきましたが、いまだに未知なることが多すぎて、発見や気づきが止まることがありません。

もともと古代マヤ文明に惹かれていたとか、マヤ暦占いを好きだったとかではなく、宗教、心理学や神秘思想、哲学など「わたしはなぜここにいるのか?」という原初的領域から掘り進んでいって出会ったのが「古代マヤ民族のもつ思想と世界観」という”すご彼066.gifだったわけです016.gif


マヤ文明―世界史に残る謎 (中公新書 127)

石田 英一郎/中央公論新社

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最近では「マヤ学」についての書籍や翻訳書も随分と増えてきましたが、きょうは「マヤ文明ー世界史に残る謎」から引用して、歴史というより「世界観」を中心にご紹介してみますね。


ジャングルの奥地「マヤの諸遺跡」を縦横に踏査し、はじめて学問的な光をあてたジョン・ロイド・スティーブンズは、写本が発見されて解読される20年以上前にこう言っていました。

「自分はこれらの遺跡が、今は滅び去り、その歴史がわからなくなった人々の作ったものではない、という考えに傾いている。・・・これらの廃都のあるものの歴史の決め手となるような何か貴重な記録が、今どこか近くの僧院の書庫に朽ちていっているものと思われてならない。僧院には、初期の首長やインディアンたちの書いた手縞や文書があって、検討されたことがない。さらに私は、神聖文字の表が今後解読されるであろうことを信ぜずにはいられない。」


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古代マヤの人たちは死後の世界へつづく不滅の霊魂を信じていました。
人間の霊魂に終わりがないように、死後の生活には終わりというものがありません。
さらにマヤでは複雑怪奇をきわめた神々はおびただしい数にのぼります。これらの神の名と、古来の彫刻や絵文書にのこる神像との関係を照合することは決して簡単なわざではなかったとあります。

昨今になってようやく、考古学・文献学・民俗学などにわたる比較研究の結果、マヤパンテオンにおける八百万の神々の形態と性格がある程度まで明らかになってきました。

ー歴史上、他のいかなる民族も、マヤほど時間に没頭的な興味をいだいたものはなく、他のいかなる文化も、これほど異常な課題を包括する哲学を発展せしめたものはないー  マヤ学の権威 エリック・タムスン博士

では、マヤの時間、暦、数に関して、先の書籍「マヤ文明」から引用してご紹介してみましょう。

マヤが日や月や年や、さらにそれ以上の時の単位も、また時を表わす数字そのものをも神格化し、あるいは個々の時の単位を、それぞれ特定の神にかつがれてリレーされる荷物として、神聖文字に描いているといっても、それはあながち理解を絶するほどの奇異な思想とは言えないであろう。
これらの絵文字の彫刻をみると、今日のグアテマラ高地などで日常に見かける習俗のとおり、マヤの神々もまたその背中の荷を、前額にまわしたベルトで担っていた。そしてあるものは旅路の終わりにきて、ひざまずいて重荷をおろそうとし、またリレーされた荷を背負ったばかりの他の神は、左手にベルトをかけ、右手を地について、やおら立ち上がろうとしている。
 しかも流れる時は、同時に一人の神によって運ばれているのではない。今日の暦にたとえれば、千年紀・世紀・年・月・日などという単位が、それぞれの数の神によって、順次にバトンタッチされていくようなものだ。ところがその幾体もの神々の属性が善悪さまざまに分かれており、これらが同時に、ある日やある年の人間の吉凶禍福を支配する力をもつとすれば、問題はただ一と柱の神と相対するばあいとはくらべものにならぬ複雑さをもつことになろう。

さらにマヤの暦は、次にのべるように、太陽暦、太陰暦をはじめ、特殊の意味をもつ数値の組み合わせを基礎にした宗教暦など、複数の種類から構成されており、ある同一の時点も、それぞれの暦の種類によって、多種多様な性格の神々の影響下におかれるのである

 この複雑きわまる時の秘密を解明し、その日、その月、その年の吉凶ばかりでなく、未来にわたる国家や人間の運勢を予知することこそ、ひじり(日知り)の名にふさわしいマヤの神官祭司の階級の重要な職能ではなかったろうか。右の時間観の意味においては、マヤはたしかに徹底した宿命論者であろう。だが救いは、同時に支配する多数の時の神々の属性が、たがいに矛盾対立するところにあった。人間がこの虚に乗じて、悪神をなだめ、善神の庇護にすがれば、なお禍を避け、福を求めることも可能ではないか。キリスト教世界の目には怪奇をきわめた、あの祭礼の体系も、いけにえの儀式も、すべてはこの目的を追求する支配階級の手により、ますます繁雑で極端な形態へと発展せしめられていったものにちがいない。

 このように時の支配に対処する執拗な欲求を前提として考えると、マヤの天文や数理の知識が、当時の技術水準には不釣り合いと思われるまでの発展をとげた謎も、また人間の運勢を予知するため、中国の易に匹敵するような占卜の体系が、マヤ神官の手でつくり上げられた理由もわかってくるような気がする。(マヤ文明 P97-98 石田英一郎著)

私が特に大切にしている箇所をカラーで強調しました。


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マヤ暦を含むマヤの世界からみる「今日」という1日は

1)カトゥンというサイクルのアハウの主と数の神の影響
2)年の神(イヤーベアラー)と数の神の影響
3)13日間(トレセーナ)を担ぐ神の影響
4)日を担ぐ神(デイサイン)の影響
5)月を担ぐ(ナイトロード)夜の神の影響
6)あなたのもつ生命樹や守護神と、今日の神々との相性による影響
7)現在の天体現象による惑星の神々の影響


たくさんの神々とサインや数の特性によって支配・影響をうけているわけです。

マヤ暦には人知を超えたところで、侮れないほど不思議で強烈な神々と奥義と知識体系とが生きており、「今」という時を担いでおりますΣ(゚Д゚;)

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だからこそ「今」生きることの大切さを、私たちは知るべきなのだと思います♡