恐怖心の克服

恐れという言葉、気持ち、心について考えてみたいと思います。







私の母は、私が小さい頃よくこんなことを言っていました。

「恐れることを知らないと恐ろしい人間になる」



母は「恐れ」を教えるために、押入れに閉じ込めたり、外へ放り出して鍵をかけて家に入れなかったり、物凄い鬼のような形相で私を叱りつけたりしていました。



それらは間違った教育方法でしたが、それらの経験は私に大切なことを教えてくれました。


そのような行為を使って母は、無意識的に母を恐れるように教えていたのではなかったのか― と今では思っています。





母を恐れるということは、子どもにとって大切な力、愛、ありのままである自然を恐れることです。

押入れや締め出しが怖いから恐れを知るわけではありません。


「恐れ」を上の言葉に置き換えてみると



「母の本質を知らないと、母に逆らうような人間になる」


「愛の本質を知らないと、愛に逆らうような人間になる」


「力の本質を知らないと、力に逆らうような人間になる」


「ありのままの自然を知らないと、ありのままの自然に逆らうような人間になる」



一番身近にいて、愛されるべき絶対の存在者である「母」が「怖い」のですから、幼い私にとって母に対する恐れを克服することは、重要な課題でした。



今でこそ上のような置き換えが出来るようになったのですが、最初からそうではありません。常に毎日が恐怖との戦いでした。


そのような私が「恐怖」を克服するヒントを掴んだのは「命を失うことの恐怖心」を克服したときでした。


2012年の黙示録



2012年の黙示録を執筆された「なわ・ふみひと」さんの日記に「これこそが終末期における『恐怖心』を克服する唯一の方法と言ってもよいでしょう。」と次のようなことを書かれていました。


なわのつぶや記 


終末の土壇場においては、私たちが本能的に持っている「命を失うことの恐怖心」そのものを手放すことが求められているのです。

「命を大切にする(尊重する)」ということと「その命に執着しない」という、一見矛盾するような心の整理が求められることになります。その答えをひとくちに申しますと、「命を預ける」ということです。「この命をどうぞお使いください」という心境と言ってもよいでしょう。



終末の恐怖心を克服する唯一の方法




私が恐怖心を克服した時のことを書いてみます。



一人目の子どもを授かってから3年後、新たな命を授かった時のことです。

妊娠の兆候があったのに検診時に超音波確認がとれず、もう少し様子をみてから再度検診に来てください、と産婦人科医に言われました。



もうすぐ3ヶ月目に入ろうとしているのに…と不安になりながら、上の子の子育てに奮闘していました。



その時は突然やってきました。

立ち上がろうとした瞬間意識がふっとなくなり、その場に倒れてしまった私が息子の声で気がついたときは、あまりの激痛にお腹は張り裂けそうでした。



すぐに病院へ駆けつけたのですが、意識は朦朧としたままでした。



「子宮外妊娠」「卵管破裂」「出血多量により血液確保! 至急輸血を」「手術の同意書にサインを!」…気が遠くなる中で聞こえる医師や看護師の声に、私は「死ぬのかも」と感じていました。



そのとき、一瞬だけの夢を見たと記憶しています。


海の中で母が笑っている映像でした。


海の中の母は、恐ろしい顔とは正反対のまるで女神さまのように優しく、柔和で光に溢れ限りなく愛に満ちた表情をしていました。

その時に私はふっと思ったのです。

「私の本当のお母さんが私を心配してやってきてくれた。」

と。
ああ、この命を母に帰そう。この母のそばにいこう。



素直に思った瞬間でした。




ところが次の瞬間、その光の母が海の中の泡に映像を映し出しました。



幼い長男の笑顔でした。まだ3才になったばかりの息子です。

光の母は、私にまだ生きなければならない大切なことを知らせてくれました。

そのとき血圧が戻りはじめ、命は危ない状態を脱したようでした。

病室で気がついたとき、私のそばに母がじっと座っていました。


私が思っていた母への「恐怖心」とは、母に投影した私の無意識です。

母もまた恐怖心を教えようとしながら母自身の恐怖心と戦い、娘である私は母と戦いながら自分の無意識と戦っていたのです。




すべてが溶けた瞬間から、私は「恐怖心」から解放されたのです。

そして母への思いも愛に変えることが出来たのです。





恐怖心がある限り、人間は次のステージへ行かれません。

命を失うことの恐怖、愛や力を失う恐れ、自分自身や家族を失うことへの恐怖など、恐怖は何に対しても持ちうる自分の無意識にある心の様子です。
そして恐怖と対になっているものに「不安」があります。
この「不安」もやっかいな心の形相です。


恐怖や不安を心に抱いているとき、人間は純真な心で喜びに目を向けることが出来ません。



新型インフルエンザが怖いから、不安だからといって、一歩も外へ出ないこと出来ますか?誰にも人に接触しないことなんて出来ますか?



そんな不安や恐怖の前に、人間が本来持っている運気は上昇しません。

意識が次なるステージへ向かうこともできません。



恐怖心や不安は、自分の心が作り上げた妄想です。


意識や心の中にある悪い妄想を好んでやってくる邪気や悪霊もいるのですから、自分の心を見張る必要があるわけです。



なわさんのおっしゃるとおり、「宇宙絶対神」「スーパーパワー」ような「法則」「パワー」、「愛」の波長そのものと言われる神様の存在を信じ、この物質世界を生きるために必要な肉体生命を預けることができるかどうか、心の主導権を預けられるかどうかに、恐怖感の解放とアセンションが隠されているのだと私も信じるのです。


サードアイの哲学


この世には二つの理がある


人命を奪う癌と人の懐を潤す癌
表に立つ偽善と裏に立つ善悪


信じることが得意な人と懐疑することが得意な人
見えないものを見ようとする人と見えないものはないと思う人
人の「言」を否定することで存在してる人と「無言」で存在する人
悪を「悪」と見る人と悪を「善の裏」と見る人
人の上に自分を建てる人と自分の上に未来を建てる人
愚かさを知らない人と本当に愚かな人
嘘をわかる人と嘘を本当にすり替える人
言葉に惑う人と混迷を言葉にする人


天の裁きにあう人と人の裁きにあう人
運命に翻弄して終わる人と翻弄の彼岸で運命にたどり着く人
拘りが捨てられない人と拘りをもてない人
絶滅が終わりだと思う人と始まりだと思う人

喜びには喜びで寄り添い
悲しみには悲しみ、苦しみには苦しみで寄り添うことが
魂に優しい光だということを知っている人と
全てはエゴと傲慢、貪欲、飽くなき欲望の虜となって人生を突っ走る人

すべて間違っていて
すべて正しい。

聖絶も聖戦も
そこから始まったのだから。

耳のある人は聞いてください!


小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の前面が血のようになった。・・・御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。・・・ 黙示【6:12】

「岩」に蒔いた種から、実りを収穫することはできない。汚れた世代もまたこのようであり・・・  ユダ福音書【44】


隠れているのは、必ず現われるためであり、おおい隠されているのは、明らかにするためです。・・・あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます。・・・ マルコ【4:22】


闇の中で闇を把捉するような何らかの光が輝きはじめるならば、闇は消滅する。というのも、当の光がもはや闇の論理では解明できないような光であるときにはじめて、闇の光への憧れは満たされるからである。・・・それゆえ、闇は闇の予期しない、意図しない、把捉しえないものによってしか解明されない。・・・ C・G・ユング博士【結合の神秘】





地球が傷むと わたしの心も痛む
被災地のみんなが寒くて震えてると、私の魂も震える
被災者のみんな疲れがたまって病に襲われると、私のお腹も痛くなる
不衛生で気持ち悪いと 心も汚染されてくよ

余震で不安が巡ってくると 私のめまいも酷くなる
みんなの心が希望を失い始めると 私の眼に映る未来は霞がかって灰色になる


つながってるんだよ 
みんなと地球。 地球とこころ。 あなたとわたし。 


東北地方のみんなは、日本の胸だよ。
母の大切なおっぱいとハートチャクラ
北海道は頭だね。
そして関東地方は腹だよ。ふところ
中越地方は腰。かなめ。
そうやってみんなは日本という国の一部とつながっている。

日本がここまでこれたのは、みんなが生きて命をつないできたから。
大地を育んできたから。

痛みを感じるよ。
途方もないほどの辛さと絶望感
すべてを失ったのに 生きてるその意味
生かされた人 天に召された人
生死をわけた「1秒の違い」
偶然という天の摂理のむごさ、むなしさ、はかなさ

読んでくれてるみんなは、光の戦士であってほしい。
心を闇に奪われないように。。。
大極

もう一人の自分

みなさん、こんにちわ。


2月はあっという間でした。
明日から桜月^^!
桃の花が女子色を華やかに飾ってくれますね。


今日はアセンションに向かう不思議な世界をご紹介します。


「先ず何よりも先に、閣下は私(わたくし)の正気(しょうき)だと云う事を御信じ下さい。これ私があらゆる神聖なものに誓って、保証致します。ですから、どうか私の精神に異常がないと云う事を、御信じ下さい。さもないと、私がこの手紙を閣下に差上げる事が、全く無意味になる惧(おそれ)があるのでございます。」
 青空文庫 芥川龍之介 二つの手紙より

もう一人の自分を目撃したという人たちは、映画や本の中だけでなくこの世界にもたくさんいます。

芥川龍之介やゲーテ、アメリカの第16代大統領アブラハム・リンカーンがそうだったようです。
スイス・チューリッヒ大学ピーター・ブルッガー博士の調査研究によると、少なくとも数百人もの人が今もなお「もう一人の自分」を目撃しているそうです。

文豪ゲーテも20代半ばに8年後の自分に遭遇したそうです。
道を歩いていると、前方から自分にそっくりな(しかしちょっと年を取った)人物が歩いてきた。その時は「似た人もいるもんだ」としか思わなかったのですが、8年後、同じ道を歩いていたとき、ふとあの時の人物がいまの自分自身であることに気づいたそうです。

もう一人の自分に出会う。
この現象を「ドッペルゲンガー」といいます。

ドッペルゲンガーとは(独: Doppelganger 自己像幻視)、「生きている人間の霊的な生き写し」を意味する。単純な和訳では「二重の歩く者」となる。自分と全く同じ姿をした"もう1人の自分"を目撃してしまう怪奇現象、及び、その現れたもう1人の存在の事を指す。とあります。

by wikipedia ドッペルゲンガー

ドッペルゲンガー

怪物森羅万象「ドッペルゲンガー」


ここには様々な言い伝えや死の予兆伝説があります。

自分のもう1つの魂であるという考え方や絵や鏡に映った姿、影(シャドウ)やシェイド(陰)、あるいは死霊という意味として伝えられてもいます。そしてドッペルゲンガーを見てしまった人は、たいてい体調を崩したり、不運な出来事によって死を迎えてしまうといいます。


また、精神分析や心理学的な見解もあります。
人が自分を信じる、あるいは人を信じる、信じられるという人間として大切な基盤にある実感が失われたとき、自我がだんだんと弱まります。
そして自我が連続している状態で、なんらかの理由によりもう一つの心的複合体が自我と同程度に活動を始め、それが自己像という形で目の前に現れる現象と考えることができるのではないか。その時、自我は、自我と同じ姿をしたもう一つの人格に取って代わられる危機にあり、それゆえにドッペルゲンガーは「死の予感」をはらむのだそうです。


イエス・キリストも旧約聖書に出てくる他の預言者も、同時に2ケ所で説教をしたり民衆と対話をしたりするという事実が語られています。
この「同時存在」は預言者の条件の1つのようです。

もう一人の自分に出会う。
このことは自己実現あるいは悟り(ニルヴァーナ)に近い状態のとき生じる現象なのではないでしょうか!

次なる時代に向かって魂が進化し次の次元へと向かうアセンションのとき、内なる自分と外なる自分の出会いが具現化し、それがまるで臨死体験のように感じられ、死の意味を悟るのではないかと考えます。

ドッペルゲンガー症候群!

それは人がもう一人の自分と出会う体験をするとき、その人の中で自己覚醒・アセンションが始まっているときなのではないかとわたしは思います。




「もう一人の私」に関連する面白い体験と記事を紹介しましょう!


◆あなたのドッペルゲンガーがどこで何をしているがわかる(?)占い紹介

「ドッペルゲンガー探偵局」


あなたの分身が何かの拍子にポコッと誕生する!としちゃいます。
あなたが知らないうちに誕生した、あなたの分身は
今、どこで、何をしているのでしょう??

ドッペルゲンガー探偵局が、たちどころに調べてさしあげます!

というわけで、体験してみました!

これは超おもしろかったです。 何しろ笑ってしまいます。 
さっそく息子の分身を探してみました(*^_^*)
すると・・・息子の分身は、現在、鹿児島で桜島の灰をかぶりながら、犬と散歩をしています。
ですって♪

情報提供サイト マイスピ


◆リバーススピーチ(逆再生)で…?!

椎名林檎さんの歌に「ドッペルゲンガー」という楽曲があります。

今日は 然様なら
愛してゐる 大嫌ひ
夕暮 泪雨
懇(ねんごろ) 赤の他人
見えてしまつたよ 慾を掌つた過去形
まう罷めるよ ほらすぐ此処に示して
楽にしてあげる

「ドッペルゲンガー」より (詞:椎名林檎)


この曲はファンの間ではちょっとしたいわくつきの作品だそうです。
というのも逆再生すると不思議にいろいろ聞こえるから!
もっとも怖いのは「誰か死ぬ」と聞こえるところ。

これは普通に聞くと「楽にしてあげる」と歌っている部分です。
そこで・・
聞いてみました!

You Tubeにある逆再生動画を聞いてみると・・
34秒から1:11秒あたりまで何回か繰り返されている言葉がやっぱり
「だーれか~シヌ」
と聞こえてしまいます。

不思議な現象です。
リバーススピーチもそのような不思議ありますが・・!

言葉の魔力「リバーススピーチ」



◆不思議!自分と話せる電話番号!?


All About 不思議!自分と話せる電話番号!?


お試しをしてみましたが何も聞こえませんでした(^_^;)
何か聞こえた方はぜひ教えてください(^^)v


インナーチャイルドの心ってとっても大切ですね。

子どもたちが小さかった頃、よく本を読んであげました。


「モーリス・センダック」という絵本作家のお話を、子どもたちは特に好きでした。

かいじゅうたちのいるところ

かいじゅうたちのいるところ

じんぐう てるお,Maurice Sendak



まよなかのだいどころ

まよなかのだいどころ

じんぐう てるお



絵本を読むときは、毎回感情をこめて違う状況を演出しながら、まるで演技をするようにして読んであげました。


子どもたちは毎回同じところで、目をまん丸にしてたのしそうに聞き入りました。



かいじゅう、ぼうけん、子どもたちの想像力をかきたてるファンタジーがそこにある…そんな絵本たちなんですね。



「まよなかのだいどころ」のお話の舞台はだいどころ。

センダック自身、子供のころは病弱で、母親がいる台所が遊び場所だったといいます。


そんな背景をもとにして生まれたファンタジーだからこそ、子どもの心をつかまえて離さないのでしょう。



私もこの本たちは今でも大好きです。

図書館に用事があっていくと、何気なく手にとって微笑みます。

私のインナーチャイルドが喜ぶ瞬間です。



子どものための音楽ものがたり スイミー ちいさなかしこいさかなのはなし

子どものための音楽ものがたり スイミー ちいさなかしこいさかなのはなし

レオ レオニ,谷川 俊太郎



レオ・レオニの「スイミー」もお気に入りで、マーシャ・ブラウンの「三びきのやぎのがらがらどん」などは、大きいやぎのガラガラ声と、トロルの気味悪い声を使い分けて読んであげると、キャーキャーいって喜びました。



三びきのやぎのがらがらどん―ノルウェーの昔話 (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

三びきのやぎのがらがらどん―ノルウェーの昔話 (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

マーシャ・ブラウン,せた ていじ



このセンダックが描く子どもたちは、決してものわかりのよい大人の言うことをきく「良い子」「かわいい子」ではありません。

子どもは時に怪獣ですし、エイリアンで、それが基本として認められなければ人間に成長しないことを知っているのではないかと思います。



「わたしは私の知っている、わたしが子どもだった時の感じ方で描きます。わたしが頼りにしつづけているのは、自分の知っていること-自分の子ども時代についてだけでなく、今ここにいるかつて子どもだったわたしについてなのです」



と語っています。

センダックは、自分が子どもだった頃の折々の感情の中味や、音、感覚やイメージを覚えていて、それを描いているそうです。



そしてそれらは普通他の大人は忘れてしまっているものだといいます。



子どもはまだ人間界を知らないので、世にも不思議な行動や遊びをフツーにします。その時の感覚を子ども自身の心に残してあげることは大切です。



まだ1才くらいの頃、息子に焼いたおもちを与えたことがありました。

そのお持ちを両手にべたべたにくっつけたまま、はがそうとしては粘る、また粘ったもちをはがす…

延々と2時間ほど遊んだ彼は、べちょぐちょになったその手をながめ、笑いながら全部なめちゃいました(笑

口も手もべっとべとでした。



「わたしは子どもだったわたしが成長して、現在のわたしになったとは信じていないのです。 

彼はわたしのために、いちばんグラフィックで造形的な、そして肉体的な意味で、いまだにわたしのどこかに存在しているのです。 

わたしは彼のことが非常に気になりますし、興味をもっています。

彼といつでも通じようとしているのです。わたしが最も恐れていることは、彼との接触を失うことです。 

大人として感じる喜びは、同時に同じ喜びを子どもとして経験できるということで相乗的に高められるのです」



by Sendak




子どもは自分の内側に感じたことは、すべてに意味があるとして流れを読んでいます。

表層だけを読むくせを持っているのは大人だけなのだと彼はいいます。



自分の中にいるインナーチャイルドの声に、存在に、イメージに、耳を傾け、接触してみることは、本当に素晴らしい喜びを自分の中に生み出してくれます。



落ち込んだり、悩んだり、つまずいたり、葛藤したりするとき、人は自分の心の声を聞く余裕がなくなります。



そんなときこそ心の声、インナーチャイルドの素直な声を聞いてみると、落ち着いたり、励まされたり、また発見したりして自分の道が開かれていくのだと思います。



高校生と中学生になった子どもたちが、最近私にむかって正義や価値観、道徳観を主張しはじめました。



それを見るたびもっとふざけてしまう私に、彼らは容赦ありません。



子どもが大人になると忘れてしまうことだけは、忘れて欲しくないという精一杯の私の祈りをこめて、子どもたちに反抗し続けていきたいと思うこの頃です(^。^)



Maurice Sendak, 1928年6月10日生まれ

マヤ暦 デイサイン ヘビ4


ダンテ「神曲」の光と愛

今から12年程前、まだ私が「絶望」という暗闇に住まいを持っていた頃、小さな子どもたちに読み聞かせる本を借りたとき、いっしょにダンテ・アリゲーロの叙事寓意詩「神曲」を図書館で借りたことがあります。

「悲しみで始まり、喜びで終わる物語」

「庶民の誰が読んでも、よくわかる言葉をつかって書かれたお話」



紹介文にはそう書かれていました。



夜中、子どもが寝静まってからそっと「神曲」を開き、読み始めました。



読み始めたときから、胸の鼓動が「ドク ドク」となり、まるで自分が「神曲」の中へと引きずり込まれていく感覚でした。



読み進んでいくうちに涙が止まらなくなりました。


辛いのか、悲しいのか、感動しているのか、共感して同情しているのか、よく解りませんでした。

止めることも出来ないまま、ひたすら読み続けました。



「栄光あれ  宇宙の微笑

おお楽しみよ、 おお言いがたき歓喜よ。

… 一切の処と時との集まる点」




ただ歌うことしか出来ない栄光の座にある至福は、

神のみが存在しあっている天国で成就される。



物語に感動しただけでなく、私は「神曲」に生き続けている「希望」に感動したのだと思います。



本を抱きしめながら、愛おしくて、嬉しくて、ずっと泣き続けていたことを覚えています。



それから後、夢中でダンテのことを勉強しました。

ふと次のような文章に出会いました。



「神曲」の中に用いられている修辞上の用法に「寓意(アレゴリー)」や「隠喩(メタファー)」が多い。

そうすることでダンテは直喩以上の『何か』を表現したかったのだろう。



「神曲」の内容は、これをどう捉えるか、読む人の立場立場で力点の置き方が変わる。



ダンテが生きていた時代のイタリアの政治的現実への痛烈な批判と、どうあるのが国家と教会の正しい姿であるかを示した規模壮大な警世の書である。



読者自身の器量を、つまり「世界観」をうつす「鏡」として

人生の様々な段階で読まれる古典の髄一である。




私の飢え乾いていた心に、ダンテの「神曲」は

光と水を注ぎいれてくれたのです。




私を変えた一冊の本です。



その後しばらくして、書き綴っていた「詩」が現代詩コンクールの小さな賞を受け、本の1ページに載りました。

ダンテの「神曲」が私へくれた愛と光へのお礼のつもりで創った詩でした。

「夢幻(むげん)の灯火(ともしび)」



風が吹き、枯れ葉は応えて 一の舞となる
古代のミュエインは伝授され、生は死から現われてくる
垂直線なる霊界は、 水平線なる俗界と交わり
天地が合一したことで、 わが人類は生となる


見えない暗黒物質は、秘めたる存在の力となって
銀河を誕生させる
七つの頭を持つ蛇は、 罪と悪を象徴し
地を這いずり廻っては、幼子の魂や 傷ついた羽を休める者らを飲み込む


神舞の踊りは 目や口を閉じたものらにだけ
見えないものを見せるという
フラの巫女は 天からのマナを食し、奇跡の神聖なる交霊術を現象化する



大いなる力と栄光は、数千万の騎兵を引き連れ
西方に位置する神殿に その姿を現す
封印は解かれ、 時は来たれり。


そして開かれた巻き物を口にした勇者は、黙示を語り 芸術を身にまとう
中世の錬金術師らは 創始者なるトリスメギストスを守護神として、
世界の謎を化学する。
ぺシェルは 隠れたる真実の福音を解き明かす


言葉のとどろきは、 力となりて 世界中にまかれては化生する
賢者は 美しい星を眺むるには、闇がいることを忘れない


世界のどこかで 天女はそっと涙をながし
愛の種を蒔き続けている


ときの流れの真ん中に立ち、平和の君はそっと黙って
神秘と奇跡の種を蒔く


今でもない、ここでもない、この星でもない永遠の世界は、
神話の内に住まいを持ちて、空間を漂い
愛の素と結ばれて一となる
再び一は、風に身をゆだね
夢幻の灯火となる


種一弓



ダンテさん、ありがとう(*^^)v



神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)



神曲 煉獄篇 (河出文庫 タ 2-2)

神曲 煉獄篇 (河出文庫 タ 2-2)



神曲 天国篇 (河出文庫 タ 2-3)

神曲 天国篇 (河出文庫 タ 2-3)

平川 祐弘



悲しみと絶望を住まいに持っている方に、ぜひお勧めの一冊です!(*^^)v



みなさん、こんにちわ^^

東京は風もなく、穏やかな日差しが暖かく気持ちの良い天気の1日でした。



もともと無意味に外へ出るのは好きでない私ですが、最近はとくに「外は下界」という意識が強まってしまいました。
家から一歩出ると世の中は危険や混乱がいっぱいで、何を見ても誰と会っても心が安らぐことは少ないのが現実です。

ニュースを聞くことで人は社会の平安のために働くことが出来なくなる、とまで考えてしまいます。
報道が常に信頼できるものばかりとは限りませんので、正しいかどうかを自分で判断しないといけません。
国民が混乱をおこさないよう情報操作されているかもしれないと疑ってしまう自分もいたりして・・・(・_・;)
クリスマスは家が一番!と思ってしまうのは私だけでしょうか・・♪



◆◇◆


みなさんは「セレンディピティ(serendipity)」という言葉をご存知ですか?

セレンディピティ Wikipedia

英語辞書を見ると
「the natural ability to make interesting or valuable discoveries by accident」とあります。
日本語では「偶察力」と訳されることもあるようですが確固たる訳ではなく、偶然に失敗してもそこから見落としたりせず、何かを発見したり学び取ることができる能力という意味として理解されるもののようです。

「幸運を招きよせる力・能力」ともいえるサクセスストーリーを語るときに使うことばです。

茂木健一郎氏 クオリア日記

「セレンディピティの成り立ち」


Googleの従業員でGmailの生みの親として有名なPaul Buchheit氏がブログで「Serendipity finds you」というタイトルで文章を書いていました。

すごく納得できたので、内容を要約してお知らせしてみます。



彼は長いあいだセレンディピティにはお世話になってきたそうです。

最大限に活用するよう心がけ、計画をたててもその通りにいかないことなど数え切れなかったようです。彼にとってセレンディピティは「求める」というよりむしろ「受け入れる」という観点から考えるものです。
そしてチャンスはいたるところにあるのに、その障害となっていいるのは私たちの「凝り固まった考え方や習慣」だといいます。

この「凝り固まった考え方や習慣」という障害の大きな要因は2つあるといいます。

1.「ego-fear(エゴからくる恐怖心)」

恐怖心には健全なものと不健全なものがあります。

理にかなったものは健全な恐怖心です。たとえば車の前に飛び出すと車にひかれるというもの、あるいは身を守るために無意識に働く恐怖心は健全です。
一方不健全で不安の範囲を超える恐怖心は、きまりの悪さ、恥ずかしさ、拒絶されること、批判などへの恐怖によって動かされているものです。
これをego-fearと表現しています。
エゴフィアーは自らの持つ恐怖心を正当化してしまう可能性さえあります。たとえば、知らない人と話すと攻撃されるかもしれない。時間を無駄にするだけである。どうぜ私は拒否される。屈辱を受けるだけである。などのように、正当に防衛されるべき恐れであると主張するような種類の恐怖です。

Buchheit氏は次のように述べています。

ego-fearから抜け出る方法を試したり考えたりすることは魅力的です。しかし私の考えでは、そういったことは恐れを正当化するためのもつれを生み出し、事態を悪くするだけです。
恐怖に打ち勝つには向き合うしかありません。
逃避はただ恐怖を増すのみです。

ではどうしたらいいか?

それはego-fearを追求すること。です。追跡して捕まえ、それにどっぷり浸ること。そのエネルギーを盗み取ること。
そうすることはその名が示すとおり、恐ろしいことです。恐怖に違いありません。だがそれがいいのです。


占い相談に来られる方の中にも、そのようなエゴフィアーにとらわれてしまい悩んでいる人も多くいらっしゃいます。
正しいことをしているのに不安に思ったり恐れたり、健全な恐怖なのに悪いことだと思ってしまったりします。
それが凝り固まった考え方や習慣であると気づくことが、チャンスを掴む第一歩なのですね。
   

2.「計画」

もう一つの大きな障害は「計画」であるとBuchheit氏はいいます。

計画を立てることは悪いことではありません。でも計画を立てることにより、完璧な計画を練り上げるためにエネルギーを注ぎこみ、固執してしまいすぎて実際には動きがとれなくなってしまうのです。
予定通りに進むことなどないのが当たり前なのに。です。

ひとつの具体的な計画へ向かうという願望は、予測が不可能であるという特性から恐怖に根ざしてしまい、不確実性が恐ろしくなってしまって「予測が可能である」という幻想を生み出してしまう。のだそうです。
セレンディピティが生まれるのは、私たち人間は愚かで、世界はとても複雑で、計画通りになど進まないという背景のもとです。計画がすべて予測可能であるものとなったとき、セレンディピティも減じてしまうのだそうです。

では計画が障害とならないようにするにはどうすればいいのか。

1つの計画を持つ代わりに1000の計画を持ち、必要に応じて修正する。という柔軟性は効果的なアプローチだといいます。

計画とは「やり遂げる」べき何かであるという考えは、あまりにも心を惑わすものですので、代わりに私は「アイデア」または「ラフスケッチ」と呼ぶことにしています。
個人的には、自分の人生において計画を持たないようにしています。ですが、アイデアはたくさんあります。それらが現実になったら、驚きを与えてくれることでしょう。そんなふうにする方がずっと楽しいです。



Buchheit氏がたくさんのアイデアを持ち、世の中の進展にあわせてプランを変更したり、固執した考えに捕らわれずに柔軟に対処したりすることの中で、セレンディピティ力は活性化されて、幸運を招き寄せる能力となって発見をしていくものだということがわかります。


セレンディピティは、偶然という現象のなかに「意味ある答え」を探して見つけ出す能力です。顕在意識と潜在意識が手を取り合って発見する脳の直観力とも言えるかもしれませんし、共時性や引き寄せの力と言えるかもしれません。



私がBuchheit氏のこの文章に出会ったのも、そしてあなたがこの記事をご覧になるためにブログを訪問してくださったのも、失敗から見落とさないよう何かを探すためのセレンディピティ能力の働きによるものかもしれませんね♪

Serendipity finds you  by Paul Buchheit