・もうあの人のことは忘れよう! 

   …でも忘れられなくて仕事が手につかないや。

・二度と衝動買いはやめよう! 

   …でもやっぱり買ってしまって生活が苦しくなる。

・何も問題なんてないはずなのに気分がのらない 

   …問題がないなんて??まさか! たーくさんあるのに。

・今度こそ続けるって決めたのに飽きちゃった 

   …最初からやれないと思ってた。

「わかっちゃいるけど止められない」

   



これは人間の潜在意識と顕在意識が食い違ってしまう心の変化をあらわしています。

自分の意志とは違う別の力によって、自分の行動が規制されたり方向を変えることになってしまったりすること、結構ありますよね。

このような別の力は「潜在意識」のように呼ばれているもので、自分の意志とは関係なく心の奥底の無意識が自分を突き動かすようにあらわれ、圧倒的な強さで自我意識や行動を負かせてしまう様子です。

そんなとき自分ではどうすることも出来なくなっているので、意識的な自分は無力感を感じています。
やっぱり自分はダメだ。意志が弱い。情けない…等々。

自己否定しなければならないほど自己嫌悪を感じて落ち込んだり、マイナスのエネルギーと思考に身を委ね自暴自棄ともいえる状態で無意識に従います。



でもあることを知っていると、その状態になっても立ち上がって自分を肯定することが出来るようになります。

それは「わかっちゃいるけど~ない」という状態にいる人の無意識にある力は、確かに自分の意志とは反しているけれど、それは自分の弱さや暗闇を照らすために圧倒的な力を持って心の奥深くからやってきたウルトラマンなのだ。と信じることなのです。





無理に自分の無力感から脱して戦士となるのは得策ではありません。

無意識と対決したら圧倒的に無意識が勝利してしまいます。


無意識からやってきたウルトラマンが自分に持たせる感情や意志、そうさせる行動や思いには、必ず意味や目的があるのです。



それを考えながら、自分を理解することこそが無意識と意識の共同作業なのです。

たとえば二番目の「二度と衝動買いはやめよう!」と思っているのにも関わらずまた買ってしまう自分。



それはもしかしたら、無意識のウルトラマンはこういう助けの使命を持ってやってきたのかもしれません。
「消費は人生そのものだよ!わかるわかる。こんなに辛い仕事や人間関係を毎日続けるくらいなら、早くに人生を消耗して楽になってしまいたいよね。そうだそうだ。よくわかる。消費を続けて自分の人生を早くに終わらせればいいんだね!キミの気持ちはよくわかった。じゃあ僕が助けてその目的をかなえてあげようじゃないか!」



という具合にね! 


意識の裏側にあるその人の心の暗闇から真理を読み取り、その人が本当に自分を認識できるようにサインを送っているのかもしれないのですね。







でもそれを紐解くために私たち占い師やカウンセラー、友達に相談するのも一つの手ですが、それでも本心の裏側に隠れている暗闇はなかなかその姿を現そうとはしません。

自分の無意識の心理に気づいてあげることって、自分にしか出来ないことが多いようなのです。

ある時突然ぐぐっと自分じゃない圧倒的な無意識の力に負けそうになったら、まずは自分の無意識に負けてみる。抵抗しないこと。です。



そしてその無意識にある本当の狙いやウルトラマンの使命を、自分の心で解きほぐしてみること。



その無意識との共同作業によって、解決の糸口が見えてくることがあるかもしれないのです。









私は自分の無意識に負けることが結構好きなので、圧倒的な力がやってくると「きた~~!」とばかり引きこもって自分の無意識との共同作業を楽しみます。



そして問題解決の道がみつかると、「ウルトラマンよありがとう!」と言って深層へと戻っていってもらいます^^♪



一度おためしあれ♪

鏡に映った自分の顔のイメージは、人格を認識したり気持ちを理解したりする上でとても重要な役割を果たしている。

脳科学者・茂木健一郎氏はいいます。

                    

すべての動物の中で「自意識」を持つ人間だけが鏡を常用する。そして鏡がわたしたち人間の自己イメージ、自己意識の進化や発達に大きな影響を与えている。

つまり鏡に映っている姿を見て「それはわたしである」と認識することができること自体、かなり高度な認知能力なのだそうです。



鏡に映るその姿が脳の中で「自分だ!」とわかることで、鏡の中の自分を見て美しくありたい、化粧をして創作する、自分の顔が持つ特徴から自分を知るなどの認識力が生まれ、「自分」という人間像を形成していくということになるわけです。


また鏡を見て「それはわたしである」と認識できる能力が発達していると、他者の心や考えを推量できる共感能力も同じように発達していると考えられるといわれています。

そこではミラーニューロンという能力が必要で、自分と他者との行動を同じようにコード化し、感覚情報と運動情報が渾然一体とならなければ本来の能力にはならない。
そしてそれが自分では出来たと思っていても、その鏡に映る自身の顔の裏にある感情の幅や変化、状況や影、無意識に湧き上がる心情などを想定できないと「他者の心を読み取る」ことは難しくなるそうです。


他者の心を読み取る=「想像(イマジネーション)」する能力ということにもなるわけです。

鏡を見ているとき本当に心から喜んでいるか泣いているか、悔しいのか寂しいのか、自分の心の奥行き、苦味、隠れ道やごまかしなどがないかなど、自分の内面と対話ができるようなイマジネーションが働いているかどうかなのです。
その訓練こそ「想像力」の強化となり、他者の心を読み取るコミュニケーション能力につながっていくのではないかと考えられます。

相手を知るにはまず己を知る。
これは人間の本質を捉えた真理です。

鏡はそのための大切なツールだというわけですね。



そこで注意するのは、想像と妄想は違う、ということです。

想像力を強化する訓練をするためには、自分の心は常にニュートラル状態でないと上手くいきません。
偏りや勝手な思い込みで自分の想像力を働かせると、妄想にならないとも限りません。


心をニュートラル状態にするということは、自分の思いすぎる傾向をいったんリセットかけてみるということ。
自分の知っている経験や知識、問題解決方法からいったん離れて、拘りをなくすことです。

そのように訓練した後に、ニュートラル状態になった純粋な自分の心を反映して鏡を見てみると、それまでに見えなかった真実や自分の顔にある表情の裏にある拘り、思い込み、妄想などが浮かび上がって見えてくる。というわけです。

              

想像力は神が人間に与えた最高のギフトです。
人類の進化は想像力のおかげといっても過言ではありませんね。




他者の心を読み取る能力をつけるには、まず自分の心に柔軟性があること、そして人間の本性や心を思い量るだけの想像力があることが大切だということになりましょう。

鏡を見て、イマジネーション・トレーニング してみませんか?^^!


恐怖心の克服

恐れという言葉、気持ち、心について考えてみたいと思います。







私の母は、私が小さい頃よくこんなことを言っていました。

「恐れることを知らないと恐ろしい人間になる」



母は「恐れ」を教えるために、押入れに閉じ込めたり、外へ放り出して鍵をかけて家に入れなかったり、物凄い鬼のような形相で私を叱りつけたりしていました。



それらは間違った教育方法でしたが、それらの経験は私に大切なことを教えてくれました。


そのような行為を使って母は、無意識的に母を恐れるように教えていたのではなかったのか― と今では思っています。





母を恐れるということは、子どもにとって大切な力、愛、ありのままである自然を恐れることです。

押入れや締め出しが怖いから恐れを知るわけではありません。


「恐れ」を上の言葉に置き換えてみると



「母の本質を知らないと、母に逆らうような人間になる」


「愛の本質を知らないと、愛に逆らうような人間になる」


「力の本質を知らないと、力に逆らうような人間になる」


「ありのままの自然を知らないと、ありのままの自然に逆らうような人間になる」



一番身近にいて、愛されるべき絶対の存在者である「母」が「怖い」のですから、幼い私にとって母に対する恐れを克服することは、重要な課題でした。



今でこそ上のような置き換えが出来るようになったのですが、最初からそうではありません。常に毎日が恐怖との戦いでした。


そのような私が「恐怖」を克服するヒントを掴んだのは「命を失うことの恐怖心」を克服したときでした。


2012年の黙示録



2012年の黙示録を執筆された「なわ・ふみひと」さんの日記に「これこそが終末期における『恐怖心』を克服する唯一の方法と言ってもよいでしょう。」と次のようなことを書かれていました。


なわのつぶや記 


終末の土壇場においては、私たちが本能的に持っている「命を失うことの恐怖心」そのものを手放すことが求められているのです。

「命を大切にする(尊重する)」ということと「その命に執着しない」という、一見矛盾するような心の整理が求められることになります。その答えをひとくちに申しますと、「命を預ける」ということです。「この命をどうぞお使いください」という心境と言ってもよいでしょう。



終末の恐怖心を克服する唯一の方法




私が恐怖心を克服した時のことを書いてみます。



一人目の子どもを授かってから3年後、新たな命を授かった時のことです。

妊娠の兆候があったのに検診時に超音波確認がとれず、もう少し様子をみてから再度検診に来てください、と産婦人科医に言われました。



もうすぐ3ヶ月目に入ろうとしているのに…と不安になりながら、上の子の子育てに奮闘していました。



その時は突然やってきました。

立ち上がろうとした瞬間意識がふっとなくなり、その場に倒れてしまった私が息子の声で気がついたときは、あまりの激痛にお腹は張り裂けそうでした。



すぐに病院へ駆けつけたのですが、意識は朦朧としたままでした。



「子宮外妊娠」「卵管破裂」「出血多量により血液確保! 至急輸血を」「手術の同意書にサインを!」…気が遠くなる中で聞こえる医師や看護師の声に、私は「死ぬのかも」と感じていました。



そのとき、一瞬だけの夢を見たと記憶しています。


海の中で母が笑っている映像でした。


海の中の母は、恐ろしい顔とは正反対のまるで女神さまのように優しく、柔和で光に溢れ限りなく愛に満ちた表情をしていました。

その時に私はふっと思ったのです。

「私の本当のお母さんが私を心配してやってきてくれた。」

と。
ああ、この命を母に帰そう。この母のそばにいこう。



素直に思った瞬間でした。




ところが次の瞬間、その光の母が海の中の泡に映像を映し出しました。



幼い長男の笑顔でした。まだ3才になったばかりの息子です。

光の母は、私にまだ生きなければならない大切なことを知らせてくれました。

そのとき血圧が戻りはじめ、命は危ない状態を脱したようでした。

病室で気がついたとき、私のそばに母がじっと座っていました。


私が思っていた母への「恐怖心」とは、母に投影した私の無意識です。

母もまた恐怖心を教えようとしながら母自身の恐怖心と戦い、娘である私は母と戦いながら自分の無意識と戦っていたのです。




すべてが溶けた瞬間から、私は「恐怖心」から解放されたのです。

そして母への思いも愛に変えることが出来たのです。





恐怖心がある限り、人間は次のステージへ行かれません。

命を失うことの恐怖、愛や力を失う恐れ、自分自身や家族を失うことへの恐怖など、恐怖は何に対しても持ちうる自分の無意識にある心の様子です。
そして恐怖と対になっているものに「不安」があります。
この「不安」もやっかいな心の形相です。


恐怖や不安を心に抱いているとき、人間は純真な心で喜びに目を向けることが出来ません。



新型インフルエンザが怖いから、不安だからといって、一歩も外へ出ないこと出来ますか?誰にも人に接触しないことなんて出来ますか?



そんな不安や恐怖の前に、人間が本来持っている運気は上昇しません。

意識が次なるステージへ向かうこともできません。



恐怖心や不安は、自分の心が作り上げた妄想です。


意識や心の中にある悪い妄想を好んでやってくる邪気や悪霊もいるのですから、自分の心を見張る必要があるわけです。



なわさんのおっしゃるとおり、「宇宙絶対神」「スーパーパワー」ような「法則」「パワー」、「愛」の波長そのものと言われる神様の存在を信じ、この物質世界を生きるために必要な肉体生命を預けることができるかどうか、心の主導権を預けられるかどうかに、恐怖感の解放とアセンションが隠されているのだと私も信じるのです。


サードアイの哲学


この世には二つの理がある


人命を奪う癌と人の懐を潤す癌
表に立つ偽善と裏に立つ善悪


信じることが得意な人と懐疑することが得意な人
見えないものを見ようとする人と見えないものはないと思う人
人の「言」を否定することで存在してる人と「無言」で存在する人
悪を「悪」と見る人と悪を「善の裏」と見る人
人の上に自分を建てる人と自分の上に未来を建てる人
愚かさを知らない人と本当に愚かな人
嘘をわかる人と嘘を本当にすり替える人
言葉に惑う人と混迷を言葉にする人


天の裁きにあう人と人の裁きにあう人
運命に翻弄して終わる人と翻弄の彼岸で運命にたどり着く人
拘りが捨てられない人と拘りをもてない人
絶滅が終わりだと思う人と始まりだと思う人

喜びには喜びで寄り添い
悲しみには悲しみ、苦しみには苦しみで寄り添うことが
魂に優しい光だということを知っている人と
全てはエゴと傲慢、貪欲、飽くなき欲望の虜となって人生を突っ走る人

すべて間違っていて
すべて正しい。

聖絶も聖戦も
そこから始まったのだから。

耳のある人は聞いてください!


小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の前面が血のようになった。・・・御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。・・・ 黙示【6:12】

「岩」に蒔いた種から、実りを収穫することはできない。汚れた世代もまたこのようであり・・・  ユダ福音書【44】


隠れているのは、必ず現われるためであり、おおい隠されているのは、明らかにするためです。・・・あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます。・・・ マルコ【4:22】


闇の中で闇を把捉するような何らかの光が輝きはじめるならば、闇は消滅する。というのも、当の光がもはや闇の論理では解明できないような光であるときにはじめて、闇の光への憧れは満たされるからである。・・・それゆえ、闇は闇の予期しない、意図しない、把捉しえないものによってしか解明されない。・・・ C・G・ユング博士【結合の神秘】





地球が傷むと わたしの心も痛む
被災地のみんなが寒くて震えてると、私の魂も震える
被災者のみんな疲れがたまって病に襲われると、私のお腹も痛くなる
不衛生で気持ち悪いと 心も汚染されてくよ

余震で不安が巡ってくると 私のめまいも酷くなる
みんなの心が希望を失い始めると 私の眼に映る未来は霞がかって灰色になる


つながってるんだよ 
みんなと地球。 地球とこころ。 あなたとわたし。 


東北地方のみんなは、日本の胸だよ。
母の大切なおっぱいとハートチャクラ
北海道は頭だね。
そして関東地方は腹だよ。ふところ
中越地方は腰。かなめ。
そうやってみんなは日本という国の一部とつながっている。

日本がここまでこれたのは、みんなが生きて命をつないできたから。
大地を育んできたから。

痛みを感じるよ。
途方もないほどの辛さと絶望感
すべてを失ったのに 生きてるその意味
生かされた人 天に召された人
生死をわけた「1秒の違い」
偶然という天の摂理のむごさ、むなしさ、はかなさ

読んでくれてるみんなは、光の戦士であってほしい。
心を闇に奪われないように。。。
大極

もう一人の自分

みなさん、こんにちわ。


2月はあっという間でした。
明日から桜月^^!
桃の花が女子色を華やかに飾ってくれますね。


今日はアセンションに向かう不思議な世界をご紹介します。


「先ず何よりも先に、閣下は私(わたくし)の正気(しょうき)だと云う事を御信じ下さい。これ私があらゆる神聖なものに誓って、保証致します。ですから、どうか私の精神に異常がないと云う事を、御信じ下さい。さもないと、私がこの手紙を閣下に差上げる事が、全く無意味になる惧(おそれ)があるのでございます。」
 青空文庫 芥川龍之介 二つの手紙より

もう一人の自分を目撃したという人たちは、映画や本の中だけでなくこの世界にもたくさんいます。

芥川龍之介やゲーテ、アメリカの第16代大統領アブラハム・リンカーンがそうだったようです。
スイス・チューリッヒ大学ピーター・ブルッガー博士の調査研究によると、少なくとも数百人もの人が今もなお「もう一人の自分」を目撃しているそうです。

文豪ゲーテも20代半ばに8年後の自分に遭遇したそうです。
道を歩いていると、前方から自分にそっくりな(しかしちょっと年を取った)人物が歩いてきた。その時は「似た人もいるもんだ」としか思わなかったのですが、8年後、同じ道を歩いていたとき、ふとあの時の人物がいまの自分自身であることに気づいたそうです。

もう一人の自分に出会う。
この現象を「ドッペルゲンガー」といいます。

ドッペルゲンガーとは(独: Doppelganger 自己像幻視)、「生きている人間の霊的な生き写し」を意味する。単純な和訳では「二重の歩く者」となる。自分と全く同じ姿をした"もう1人の自分"を目撃してしまう怪奇現象、及び、その現れたもう1人の存在の事を指す。とあります。

by wikipedia ドッペルゲンガー

ドッペルゲンガー

怪物森羅万象「ドッペルゲンガー」


ここには様々な言い伝えや死の予兆伝説があります。

自分のもう1つの魂であるという考え方や絵や鏡に映った姿、影(シャドウ)やシェイド(陰)、あるいは死霊という意味として伝えられてもいます。そしてドッペルゲンガーを見てしまった人は、たいてい体調を崩したり、不運な出来事によって死を迎えてしまうといいます。


また、精神分析や心理学的な見解もあります。
人が自分を信じる、あるいは人を信じる、信じられるという人間として大切な基盤にある実感が失われたとき、自我がだんだんと弱まります。
そして自我が連続している状態で、なんらかの理由によりもう一つの心的複合体が自我と同程度に活動を始め、それが自己像という形で目の前に現れる現象と考えることができるのではないか。その時、自我は、自我と同じ姿をしたもう一つの人格に取って代わられる危機にあり、それゆえにドッペルゲンガーは「死の予感」をはらむのだそうです。


イエス・キリストも旧約聖書に出てくる他の預言者も、同時に2ケ所で説教をしたり民衆と対話をしたりするという事実が語られています。
この「同時存在」は預言者の条件の1つのようです。

もう一人の自分に出会う。
このことは自己実現あるいは悟り(ニルヴァーナ)に近い状態のとき生じる現象なのではないでしょうか!

次なる時代に向かって魂が進化し次の次元へと向かうアセンションのとき、内なる自分と外なる自分の出会いが具現化し、それがまるで臨死体験のように感じられ、死の意味を悟るのではないかと考えます。

ドッペルゲンガー症候群!

それは人がもう一人の自分と出会う体験をするとき、その人の中で自己覚醒・アセンションが始まっているときなのではないかとわたしは思います。




「もう一人の私」に関連する面白い体験と記事を紹介しましょう!


◆あなたのドッペルゲンガーがどこで何をしているがわかる(?)占い紹介

「ドッペルゲンガー探偵局」


あなたの分身が何かの拍子にポコッと誕生する!としちゃいます。
あなたが知らないうちに誕生した、あなたの分身は
今、どこで、何をしているのでしょう??

ドッペルゲンガー探偵局が、たちどころに調べてさしあげます!

というわけで、体験してみました!

これは超おもしろかったです。 何しろ笑ってしまいます。 
さっそく息子の分身を探してみました(*^_^*)
すると・・・息子の分身は、現在、鹿児島で桜島の灰をかぶりながら、犬と散歩をしています。
ですって♪

情報提供サイト マイスピ


◆リバーススピーチ(逆再生)で…?!

椎名林檎さんの歌に「ドッペルゲンガー」という楽曲があります。

今日は 然様なら
愛してゐる 大嫌ひ
夕暮 泪雨
懇(ねんごろ) 赤の他人
見えてしまつたよ 慾を掌つた過去形
まう罷めるよ ほらすぐ此処に示して
楽にしてあげる

「ドッペルゲンガー」より (詞:椎名林檎)


この曲はファンの間ではちょっとしたいわくつきの作品だそうです。
というのも逆再生すると不思議にいろいろ聞こえるから!
もっとも怖いのは「誰か死ぬ」と聞こえるところ。

これは普通に聞くと「楽にしてあげる」と歌っている部分です。
そこで・・
聞いてみました!

You Tubeにある逆再生動画を聞いてみると・・
34秒から1:11秒あたりまで何回か繰り返されている言葉がやっぱり
「だーれか~シヌ」
と聞こえてしまいます。

不思議な現象です。
リバーススピーチもそのような不思議ありますが・・!

言葉の魔力「リバーススピーチ」



◆不思議!自分と話せる電話番号!?


All About 不思議!自分と話せる電話番号!?


お試しをしてみましたが何も聞こえませんでした(^_^;)
何か聞こえた方はぜひ教えてください(^^)v


インナーチャイルドの心ってとっても大切ですね。

子どもたちが小さかった頃、よく本を読んであげました。


「モーリス・センダック」という絵本作家のお話を、子どもたちは特に好きでした。

かいじゅうたちのいるところ

かいじゅうたちのいるところ

じんぐう てるお,Maurice Sendak



まよなかのだいどころ

まよなかのだいどころ

じんぐう てるお



絵本を読むときは、毎回感情をこめて違う状況を演出しながら、まるで演技をするようにして読んであげました。


子どもたちは毎回同じところで、目をまん丸にしてたのしそうに聞き入りました。



かいじゅう、ぼうけん、子どもたちの想像力をかきたてるファンタジーがそこにある…そんな絵本たちなんですね。



「まよなかのだいどころ」のお話の舞台はだいどころ。

センダック自身、子供のころは病弱で、母親がいる台所が遊び場所だったといいます。


そんな背景をもとにして生まれたファンタジーだからこそ、子どもの心をつかまえて離さないのでしょう。



私もこの本たちは今でも大好きです。

図書館に用事があっていくと、何気なく手にとって微笑みます。

私のインナーチャイルドが喜ぶ瞬間です。



子どものための音楽ものがたり スイミー ちいさなかしこいさかなのはなし

子どものための音楽ものがたり スイミー ちいさなかしこいさかなのはなし

レオ レオニ,谷川 俊太郎



レオ・レオニの「スイミー」もお気に入りで、マーシャ・ブラウンの「三びきのやぎのがらがらどん」などは、大きいやぎのガラガラ声と、トロルの気味悪い声を使い分けて読んであげると、キャーキャーいって喜びました。



三びきのやぎのがらがらどん―ノルウェーの昔話 (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

三びきのやぎのがらがらどん―ノルウェーの昔話 (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

マーシャ・ブラウン,せた ていじ



このセンダックが描く子どもたちは、決してものわかりのよい大人の言うことをきく「良い子」「かわいい子」ではありません。

子どもは時に怪獣ですし、エイリアンで、それが基本として認められなければ人間に成長しないことを知っているのではないかと思います。



「わたしは私の知っている、わたしが子どもだった時の感じ方で描きます。わたしが頼りにしつづけているのは、自分の知っていること-自分の子ども時代についてだけでなく、今ここにいるかつて子どもだったわたしについてなのです」



と語っています。

センダックは、自分が子どもだった頃の折々の感情の中味や、音、感覚やイメージを覚えていて、それを描いているそうです。



そしてそれらは普通他の大人は忘れてしまっているものだといいます。



子どもはまだ人間界を知らないので、世にも不思議な行動や遊びをフツーにします。その時の感覚を子ども自身の心に残してあげることは大切です。



まだ1才くらいの頃、息子に焼いたおもちを与えたことがありました。

そのお持ちを両手にべたべたにくっつけたまま、はがそうとしては粘る、また粘ったもちをはがす…

延々と2時間ほど遊んだ彼は、べちょぐちょになったその手をながめ、笑いながら全部なめちゃいました(笑

口も手もべっとべとでした。



「わたしは子どもだったわたしが成長して、現在のわたしになったとは信じていないのです。 

彼はわたしのために、いちばんグラフィックで造形的な、そして肉体的な意味で、いまだにわたしのどこかに存在しているのです。 

わたしは彼のことが非常に気になりますし、興味をもっています。

彼といつでも通じようとしているのです。わたしが最も恐れていることは、彼との接触を失うことです。 

大人として感じる喜びは、同時に同じ喜びを子どもとして経験できるということで相乗的に高められるのです」



by Sendak




子どもは自分の内側に感じたことは、すべてに意味があるとして流れを読んでいます。

表層だけを読むくせを持っているのは大人だけなのだと彼はいいます。



自分の中にいるインナーチャイルドの声に、存在に、イメージに、耳を傾け、接触してみることは、本当に素晴らしい喜びを自分の中に生み出してくれます。



落ち込んだり、悩んだり、つまずいたり、葛藤したりするとき、人は自分の心の声を聞く余裕がなくなります。



そんなときこそ心の声、インナーチャイルドの素直な声を聞いてみると、落ち着いたり、励まされたり、また発見したりして自分の道が開かれていくのだと思います。



高校生と中学生になった子どもたちが、最近私にむかって正義や価値観、道徳観を主張しはじめました。



それを見るたびもっとふざけてしまう私に、彼らは容赦ありません。



子どもが大人になると忘れてしまうことだけは、忘れて欲しくないという精一杯の私の祈りをこめて、子どもたちに反抗し続けていきたいと思うこの頃です(^。^)



Maurice Sendak, 1928年6月10日生まれ

マヤ暦 デイサイン ヘビ4