人気ブログランキング |

精神と病って?

皆さまこんにちわ☆

今日29日「ワシ・13」でマヤ暦「夜」トレセーナも終わります。
6月もあと2日で終わりですねε-(´▽`) ホッ

昨日書きましたような今月のかなり厳しい世相的状況は、その原因が「夜」というサインにあるわけでは決してございません。
「夜」はハートチャクラに住まう「神殿」「山の心臓」といわれるナーカルです。
昨年の秋には伊勢神宮の式年遷宮や秋分のククルカン降臨など神事にも関与して働きを見せてくれた大切なサインです。
象徴的に解釈するならば、昨年の秋から始まって、心の中でごた混ぜとなっていた大切なものと不要なものが整頓される期間が終わり、ようやく自分にとって必要となるものだけが残ることを知らせてくれたのが、今回の夜のトレセーナではなかったかと思います。

b0213435_11590650.jpg

「ワシ」はマヤ語でTz’ikinと呼ばれ、太陽のように純粋なスピリットを象徴しています。また元素の力を復活させ光をとりこむシャーマンの鳥とも呼ばれる霊的なサインですね。

ジャガーの智恵を著されたケネス・ジョンソンさんは、自身のFaceBookで13 Tz’ikinに行われるマヤの伝統的セレモニーについて書いていらっしゃいます。

b0213435_12001916.png
さて、今日はそのように純粋なスピリットが天に届く「夜」のトレセーナ最後となる「ワシ・13」の日ですので、「精神」とその「病」について少し私の考えを書いてみようと思います。


以前書いていたブログにも関連した記事を書いた事があります。
参考記事:
・魂が体に戻れなくなると・・・
・神経のハイジャック!
・もう一人の自分
・アセンションとスピリチュアルな光の子どもたち

ところで皆さんは「精神」てどこにあると思いますか?

頭で思考する脳のなかですか?それとも心のある心臓ですか?
肉体全体ですか? それとも神経系統ですか? 血でしょうか・・?

違いますよね、不思議ですね。
精神は場所が特定できない。
でも人は皆「精神」をもっている。
b0213435_13250223.jpg
霊魂や非科学的なことは信じない人も皆「精神」をもっていて、それを科学的に場所を特定できないし、ちゃんと説明もできない。

私は「精神」は人間の中にあるものではない、と思うのですよ。
「人間の肉体に宿る精なる神」のことを「精神」と呼ぶのではないかと。

キリスト教会では聖霊を「ホーリー・スピリット」と呼びますね。
聖なるものとそうでないものもあります。

精神が病となるのではなく、肉体の各部位が悲鳴をあげるほどその人が自分にストレスを加えてしまうと、肉体に宿る神が「ダメだよ、これ以上無理をすると死んでしまうよ!」とイエローカードを出してサインを送るのではないかと思います。
そうすると不思議な熱がでたり、病気でないのにあちこちの臓や器官が暴走してしまったり、気が抜けた状態になって力が入らなくなってしまったりしてしまうのではないでしょうか。

それを人は鬱病や○○症候群や精神の病などと名付けているのだと思います。


人間社会に生きる。ということは、現代社会においては「精なる神」が肉体に宿り、その人と共存しながら社会という規制に準じていくことは大変なことだと思います。

古代はまだ神と人間は自然のなかで共存して生きていた時代ですね。
経済の発達も高度な文明の恩恵もありませんでしたが、自然の恵みをいただき、神々とともに生かされて人間は暮らしを全うしていたはずです。

しかし現代にそのような暮らしをするのは、特に大都会においては困難なこと。
仕事をしないと生活もできませんし、家族に甘えてばかりいられないと自立していく若者は、生活に追われるようになり本来の学びから離れていかざるを得ないこともしばしばですね。

肉体と精神のバランスがとれている人は心身ともに健康的です。
それは肉体の主である自分という意識と、その肉体に宿っている精なる神とが上手にコミュニケーションがとれているからです。共存し助け合いながらこの世界で自己実現を目指している時、人は精神のことをあまり考えなくなります。なぜなら一体になっているからです。認識しないということは一体化されているということでしょう。
心から喜び、心から感動したりできますし、泣いたり人を思いやって愛を注ぐことも無意識にできます。
それは精神が肉体の特定な場所に姿をみせるのではなく、その人全体の中に宿って働きをするからなのだと思います。


肉体的な病と精神的な病とは、全く異なるものでしょうか?

私は大きな差異はないと考えています。

人は皆「死」においては平等ですね。
どのように死ぬかは自殺以外は選ぶことはできませんね。
精神がさきに死んでしまうか、肉体が弱りさきに死んでしまうかさえ、私たちは選択できません。
でもそれが「自然」の秩序と理に準じているのであれば、それが運命というものだろうと思います。


精神や肉体の「障害」という言葉で表現することについてですが、これもまた不思議なことですね。
障害ではなくて「人とは異なる特性・個性・違い」という定義に変えてみたらいかがかしら。

人間の性格が一人一人違うように、精なる神だって異なる特性や使命、役割をもってその人の肉体に宿っています。
障害や病気って、他の人とは異なる個性や特性をその人自身が認めないことによって、精なる神が人と違う使命を当の本人と協力できなくなり、ちぐはぐなことになってしまうために生じてしまう現象のことを言うのではないかしら。


遠回りしたっていい。
悪戦苦闘してみてもいい。
負けてへこたれてしまってもいい。

それでも精神はあなたから離れません。
いつも一緒にそばに、いや肉体の中に宿り、あなた自身の肉体意識が精神と協力して自分の運命を受容しながら、実現していくことを支え続ける。

それが精神のミッションなのだと思うのですね。



みなさん、「ワシ・13」の日。純粋なスピリットを胸に迎え入れ、精神なる守護神を大切にしましょうね♪


b0213435_13541064.jpg